モノを捨てられないタイプの人間が、モノを捨てようと思ったきっかけ
私は、基本的に「モノを捨てられないタイプ」の人間です。
それでも子どもが生まれる前は、引っ越しをすることが多いという環境のおかげでモノの数が抑えられていました。
……が、一つの場所に落ち着き、子供が生まれ、子育てに忙殺されると、本来の「溜め込みグセ」が暴れ出し、
- 収納はギュウギュウ
- どこに何があるのか分からない
- モノがリビングや寝室の床などを侵食
- そして、その上にモノを積み上げ始める
という状態に。
当然(?)、モノが積み上がっているところの掃除なんてしません。だって面倒くさいし。
そんな光景に、
「これはマズイ」
と思い始めたのが1年前。
まあ、本当はもっと前からマズい状態だったんですけど(笑)、子供が年長さんになって、少し心に余裕ができたおかげで気がつけたのかな、と思います。
モノを捨てれらない人間の心理
というわけで、そんな「マズイ」状況を作り出していた当時の私の心境を思い返してみると……。
心に余裕がないと「モノ」が見えない
心に余裕がないと、何て言うか、「モノ」が見えない。認知できない。
道端の雑草が何本増えたとか、1週間前と比べて何センチ伸びたとか、そんなこと気にも留めないのと同じなんですよ。
家の中が「道端」、家の中のモノは「雑草」と同じような感覚……。
「雑草みたいに、家の中のモノが『勝手に』増える!」
本当にそう思ってました。
そして、それはそれで良かった。モノが増えるなら増えればいいじゃない、と思ってました。
他人に捨てさせないのはなぜ?
一方で、道端の雑草とは違って、家の中のモノを「勝手に処分される」のは嫌なんですよね。
「私のモノだから、私が判断したい」
そういう我は残ってるわけです。
でも、いちいち判断する気力はない。
……何かもう、自分で書いていて「コイツ面倒くさいな~」と思ってきました(笑)
でも、そんな感じなんです。
この、「自分で判断したい」という我さえなければ、業者に頼むなり、捨てられるタイプの家族にやってもらうなりして、モノを減らせるかもしれないのに、
- 人に任せることができない
- 人に任せてはいけない、くらいに思ってる
- 自分のことは自分でやらなければダメだ、という強迫観念
があったような気がします。
そしてこれは、自分に自信がないときほど顕著でした。
自分がダメダメな時ほど、人に頼ることができないんです。
きっと、「自分のことは自分でやる」が自尊心の最後の砦になっているタイプなんでしょうね、私は。
うーん、古いわあ。
モノを捨てられないタイプの人間が、モノを捨てるためにやっていること
そんな私が、モノを捨てるためにやっていることがこのブログです。
このブログでは、「いつか使うかも」「もったいない」「思い出の品」というような、ちょっと捨てにくいモノを捨てるために、そのモノへの思い入れや、エピソードなどを綴っています。
これは、モノへの通夜。
亡くなった方を葬る前に、遺族が集まって、故人の思い出を語り合って、供養する……そんな通夜のようなことをして、モノを送り出しているんです。
自分でやっているので、上記の「自尊心」も満たせます。
そのおかげで、今まで続いています!
モノを捨てられないタイプの人間に言ってはいけないこと
こんなふうに、通夜なんて言葉を使うと
「モノは生きてもいないのに、大げさな」
と呆れられるかもしれません。
でもモノを捨てられないタイプの人の中には、生き物に対するのと同じくらいの、もしくはそれ以上の愛着をモノに抱く人もいるんですよ……!
老婆心ながらお伝えすると、もし皆さんのご家族がこういうタイプだった場合、その方に「たかがモノ」なんて言ったらダメですよ?
なぜなら、
- 私のモノは、私の「仲間」や「家族」や「友達」と同義
- 「たかがモノ」って言って私のモノをぞんざいに扱う人は「敵」
- 「敵」からその「モノ」を守れるのは私しかいない!
- 頑なに片づけを拒否!!
という流れになるからです。
もしここに、先ほどの私のような「『自分のことは自分でやる』が自尊心の最後の砦」みたいな感覚が合わさると、更に面倒です……。
くれぐれもお気を付けください……。
ちなみに私は両方の傾向がありまして、このままだと老後が心配なので(苦笑)、今から「自分でモノに折り合いをつけて手放す練習」をしているところです。
ゴミ屋敷のおばあさんにならないように、頑張ります……!